からだ本来の姿、本来の貴方のからだ。

非常識と常識の境目とは?

いわゆる「常識」ってあるじゃないですか。
では「非常識」とはどこで線を引くのでしょうね?
ここまで常識でここからは非常識という線引きは、
どこの誰が決めているんでしょうねぇ・・・。
ある方から聞いた話です。
日本人に固定された給料を払っているとそれなり・・。
給料に相応の金額を加えると、一層頑張ってくれる。
評価に対して評価されている分、上乗せで考える。
それはインドの方々に固定された給料を払ってみると、
上乗せしていくと、計算して上乗せ分は休んでしまう。
勤勉がいいのか、怠慢なのがいいとか悪いではなくて、
アルジが言いたかったことは・・・。


常識に囚われず、快適感覚を基準にする
具合が悪くなって休んで、人様にご迷惑を掛けてしまう。
そのくらいなら、少し無理をして頑張って休まない。
それは常識・非常識で計っても良いものなんだろうか。
自己責任・・・それっていったい何を基準にしているかな。
生きている限り、世の中、大切なコトって沢山あります。
「道徳」や「義理・人情」それに「世間体」から外れない
ように振る舞うことを中心に考えて生きる事は立派です。
でもね、大切な「からだ」に無理させることも増える。
感情を露出できる人間は子供に限られているのかな?
欠点をさらけ出す人間は満たされているのかもしれない。
そして満たされているからこそ、欠点だと思っていない。
生まれつきの魅力は、欠点から始まって欠点に終わる。
欠点を上手に使いこなせればいい。
それには、恐れないで。。隠さず。。。さらけ出すこと。
「ヒトの悪徳、欠点は牡蠣の中の真珠のようなものだ
 私達は、これを真珠にしなければならない」

     =エドワード・カーペンター(英の思想家)=
言われているままの常識よりは、感じたままの非常識。
非常識を”感性で磨き”あげて上手く使いこなせば愉しい。
今までの「欠点」いわゆる「弱点」というのは思い込み。
今まで曖昧にしてきた「愛」すべき感性かもしれません。
                 操快堂 岡村郁生