からだ本来の姿、本来の貴方のからだ。

意識を果てしなく通し続けると・・・?

意識で触れ合う”接触”

”皮膚”で伝え合う”空間”。

”想い”と”想われる”こと.

「からだ」の中にある大脳の側頭葉の奥にあるミラーニューロン.

相手の身振り手振りによる感情や意図、行動の予測まで感じる。

 

思いやる心。

おもんばかる(=慮る)。

配慮、こころくばり。

「想い」を人は生かしてきたから、生命は現象なのでしょう。

 

だからこそ「からだ」よ、教えて欲しい。

他人に上手に興味を持てず・・・独りごちて生き続けている意味を。

 

『僕は自分自身の肉体を俯瞰していた。

 肉体が感じている苦しさ、痛み、熱。その一つ一つの感覚が理解できる。

 なのに、それを上から見下ろしていた。 どうしてしまったんだ? 

 なぜそこに自分がいるんだ? あれは本当に自分なのか?

 それなら、いまこうやっていろんなことを考えているこれは誰だ?』 

作者: 竹沢うるま、出版社、小学館より抜粋。
 上記p156より抜粋した一文。旅行記ですが叙情豊かでアルジのオススメ)

 

 想いは、想われてこそ輝く。

想われることは、想いあうこと。

太陽の光を浴びる満月の光りが如く美しい。

 

まるで、「共感覚」の持主と変化したが如く、紡がれる文と一体になる。

うるま氏と共に体験できる世界。

それは、「からだ」からほとばしる振動、それが何かを教えてくれる。

 

もし「脳」による「経験」とか、一杯の知識がなくなる時があったとも、

感じることで「命」はつながっているんだ、と・・・優しく「皮膚」に沁みる。

 

空間に触れ、匂いを嗅ぎ、舐めて、浴びて、息を吐いて吸う。

 

ここにいる。

それを感じるには「呼吸」を味わい尽くす、つもり・・・になってみよう!

 

呼吸を味わう最近のアルジ・・・からだと相思相愛になっているような(笑)

 

そして、味わった後。

ほんの少しだけ日々の「からだ」に、感謝を謳うのです。

 

そうそう!味わい深い禅の文章をみつけたので、ご紹介しますね。

 

「僧肇は『天地と我は同根。万物は我と一体』といっているが、

     私にはどうもこの点がよくわからない」と言った人に対して、 

     南泉普願禅師は庭に咲く一株の花を指しつつ、語った。

    「世人のこの一株の花を見る見方は、まるで夢を見ているようなものだ」

                          =碧巌録、四十より=              

 

さあ!早速大きく口を開け、身近にあるお花を眺め、感じてみましょうかネッ!

                           操快堂 岡村郁生