からだ本来の姿、本来の貴方のからだ。

効くか効かぬか、からだに訊ねる

操快堂アルジの~臨床考~

今年の夏は久慈で開業されている同志の方に「からだ」を診て頂く                      為に、ひたすら東北道を走り、走り、走り抜けました。

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長距離移動で帰ってからも、絶好調!まさに、東北操体臨床の夏!

わかったことは「からだ」の要求。

来院時から、帰るまででなく、帰ってから、今までなのですね。

そういえば・・・。
開業して14年、始めの頃は現在と異なり、来た時から帰るまでに
何とかしてやろう!!という意識がとても自分の臨床の中にあって、
それが責任と思い込むあまりアルジも相手も苦しむことが多かった。
開業前の研修中は、他人と比較したりさせられたりする職場環境が、
治りにくい患者と治せない患者の差は、腕の未熟さと捉えていた。

勿論、“治療者が治すのだ”と、いう現実を否定するつもりはないが、
「治す人は私だ」「治してやろう私が」という意識がそこにあれば、
平常心を保ち”中道を行く”ことにはなりにくく、そのままであれば
傲慢になることさえ・・・ウン、ありえる・・・のでしょうね。


それよりも大事なこと。
操体には、息・食・動・想・環とそれぞれ学ぶべき自然法則。

これこそが、”なおりやすくなる”、大事なポイントとなっていて、

他人に代わってもらうことの出来ない自己責任分担となっている。

すなわち自己責任というのは、患者のからだの使い方そのものに、
症状・疾患に対する理由があり、それを見逃してしまっては治癒                      というよりも”処置”、”本治法”というよりも”局治法”になってしま                      うので、少なくとも臨床と呼応率から考えてもとても勿体ない。
はたしてアルジ自身の操体臨床において、または指導する立場に                         おいて、どれだけ自分自身が全う出来ているのか?というリアル                       はあっても、実際にとどまる事なく研鑽していくプロセスは現実                      であって『理に適う』ことを知っておかなければならない。

操者と患者。

どちらが上に立つとか下だとか言ったレベルの問題ではないのだから。

以上、小学生・中学生・高校生の親でもあるアルジの独り言でした。

操快堂 岡村敬郁