からだ本来の姿、本来の貴方のからだ。

見えないけれど、うごめいているもの

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「あなたは骨盤がこんなに歪んでいます!」

「こんなに背骨が曲がっています!」

と言われたらビックリするかもしれませんが、こう解釈して下さい。

フムフム、「からだ」は歪んでくれるから”私は”助かっているんだなァ・・・と。

要するに、歪むほど自分のからだに”感謝したほうが自然”のでしょう。

操体法の創始者橋本敬三先生も、
「歪んで助かってるんだ」

「病気なんてねェんだ」

「こんなイイカラダしてんだから、親に感謝しなさいよ」

・・・・と語っていたそうですヨ。

そこで、私の感銘を受けた言葉を紹介しますね。

 

「健康とは安全無事の如く思い込んで、無事であろうとし、
絶えずビクビクして、ハツラツと生きることを忘れていることが少なくない。

そういう人達は
無病であることが健康であることのように思い込んでいるらしいが、
イキイキハツラツとして生きていることが健康なので、無病はその結果だ。

そしてイキイキハツラツとして生きていれば、病気があっても健康であるが、
無病であってもその無病が、用心とつっかい棒のために保たれていたのでは健康でない。

いわんやビクビク生きていると言うことにおいてであろう。


整体とは姿勢を正すことだといった人がいた。

外から見ればそう見えるかもしれないが、
外から正された姿勢はどんな形をしていても整体ではない。

姿勢の姿は形のことである。
勢いはその形の元である。
勢いの現れとして形がある。

整体というのは、形を正すことではなく、勢いを正すことである。
勢いによらない形は生物の形ではない。

(・・・フムフム、この前半のたたみかけるような言い切る文章は、
まさにハツラツと生きていればこそですねェ・・・さて後半です)

今、生きているということは、死につつあることと同じである。
人間は誰も、死ぬといって間違いない。
昔から死ななかった人はいない。

それ故、十年生きたことは、十年死んだということになる。

しかし、死を見つめて生きてきた者と、死を見ないようにして生きて              きた者とは、人生に対する態度が違う。

人の死ぬことを知って生きている者は、いつも人生に誠実である。
人のいつか死ぬことを覚悟して生きる者は、養生の人である。

いかがでしょうか?なるほど、然り!と思いませんか。                 そして味わい深いですねェ。

自ら行っていることに責任を持つこと・・・然り。
自ら意識していけることに責任を持つこと・・・然り。

難しく考えるようなことではないのが”自然の法則”に適うようですネ。
自身の生き方の選択においても、死ぬまで養生&愉快で参りましょう!

操快堂  岡村郁生