意識で触れ合う”接触”
”皮膚”で伝え合う”空間”。
”想い”と”想われる”こと.
「からだ」の中にある大脳の側頭葉の奥にあるミラーニューロン.
相手の身振り手振りによる感情や意図、行動の予測まで感じる。
思いやる心。
おもんばかる(=慮る)。
配慮、こころくばり。
「想い」を人は生かしてきたから、生命は現象なのでしょう。
だからこそ「からだ」よ、教えて欲しい。
他人に上手に興味を持てず・・・独りごちて生き続けている意味を。
『僕は自分自身の肉体を俯瞰していた。
肉体が感じている苦しさ、痛み、熱。その一つ一つの感覚が理解できる。
なのに、それを上から見下ろしていた。 どうしてしまったんだ?
なぜそこに自分がいるんだ? あれは本当に自分なのか?
それなら、いまこうやっていろんなことを考えているこれは誰だ?』
想いは、想われてこそ輝く。
想われることは、想いあうこと。
太陽の光を浴びる満月の光りが如く美しい。
まるで、「共感覚」の持主と変化したが如く、紡がれる文と一体になる。
うるま氏と共に体験できる世界。
それは、「からだ」からほとばしる振動、それが何かを教えてくれる。
もし「脳」による「経験」とか、一杯の知識がなくなる時があったとも、
感じることで「命」はつながっているんだ、と・・・優しく「皮膚」に沁みる。
空間に触れ、匂いを嗅ぎ、舐めて、浴びて、息を吐いて吸う。
ここにいる。
それを感じるには「呼吸」を味わい尽くす、つもり・・・になってみよう!
呼吸を味わう最近のアルジ・・・からだと相思相愛になっているような(笑)
そして、味わった後。
ほんの少しだけ日々の「からだ」に、感謝を謳うのです。
そうそう!味わい深い禅の文章をみつけたので、ご紹介しますね。
「僧肇は『天地と我は同根。万物は我と一体』といっているが、
私にはどうもこの点がよくわからない」と言った人に対して、
南泉普願禅師は庭に咲く一株の花を指しつつ、語った。
「世人のこの一株の花を見る見方は、まるで夢を見ているようなものだ」
=碧巌録、四十より=
さあ!早速大きく口を開け、身近にあるお花を眺め、感じてみましょうかネッ!
操快堂 岡村郁生