からだ本来の姿、本来の貴方のからだ。

ココロと一緒 

 
体が軽くなると心健やかになる。

心健やかなとき体は軽いものです。

心と体は間違いなく共に歩いています。
体だけ治したり、心だけ軽くしたり、私には難しい・・・。


 

心はもちろん体と共にあります。

生まれてから死んでゆくその時まで、同様に働いています。赤ちゃんがお母さんの体から出てきて、臍の緒を切ってからずっと・・・ いやもっと以前からかもしれませんね。お父さんとお母さんが心の通い合った瞬間に、すでにあったかもしれません
物心がついてから、記憶の中にあること以外も含めて共同体として常に自分自身の一部としてあるものですね。

でも気がついたら身体だけとっても無茶をさせたり、ある時には心の自由を奪いすぎてしまったりして、心と身体は別々になっていることがあります。

それでは(自分も含めて)普通に生活している人達はどうでしょう。

 

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愛すべき自分

099996一般的に、生活にはお金を必要としますから必要に応じて、職につく又は家庭を持つ、ほとんどの方が、何かしら自分でやらなくてはいけない労働・作業があるはずです。

ということは、子供の頃のように太陽が出ている間は、好きなことばかりして遊んでいるという訳にはいきません。
(もっとも子供は子供で、親や友達、先生等に自分で気がついているのか、気付かないか、わかりませんけれど、サービスしたりしているのでしょうね。)

それが、ある程度年齢を重ねるにつれ、身体と心の自由が奪われていくのは自然な流れなのではないでしょうか。

毎日が少しずつ自分の望む生活リズムとかけ離れ、心のゆとりが消えたり身体の要求を無視してしまい、その結果として体調の異常を自覚することになる。

まだここで気が付いてもらえれば良いのですが、更になんとなくおかしいとは思いつつ、 無理を重ねてしまいとうとう病名が付けられてしまうことになって初めて休むということや、自覚を認めざるを得ない方がとても多いようです。

生きていくことを辛く考えたり、逃げ出したくなるような時、心と身体によいことは何だろう・・・とスポーツジムに通って身体を動かしたり、好きな趣味に没頭したりと、 様々な方法でストレスの発散をしていくことで、明日への活力を作っているのでしょう。

細胞一つ一つが、とても早い新陳代謝をして活性が強い子供の頃と比べると、徐々にですが代謝はゆっくりとなり、一日が早く過ぎてしまうようになります。

特に一つのことに集中して何かをしていると、あっという間に時間は過ぎます。

逆に嫌いなことや、つまらない時には時間のたつのも妙に遅くなった気がするものです。

そして一日の終わりに振り返ってみると、意外とあっという間に過ぎてしまうほど、集中していた時間の多かった日は、身体と心のストレスになるような“何か”が少ないような気がしませんか?

義務というものは「押し付けられている」と思うものであります。

押し付けられていると感じないように対処していく努力は、もしかしたらストレスを直接少なくしていく効果があるのではないでしょうか。

 

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