からだ本来の姿、本来の貴方のからだ。

今後あるべき医療討論会その②

(左脳優氏)

 

なるほど、すべからく、との繋がりあってのものなんですよね。

解りますが、個人の視点を語るだけでは社会全体に機能しませんよ。

 

医療全体を社会に当てはめていけば、ネット時代で介護臨床の場におけ

る特殊性も広く公開され、非常に専門的な特殊な治療法も開示されつつ、

健康法・養生法それぞれの方法論も、現状では法律でもグレーなままに許

されて、様々にに存在している訳で、言わば不自然にもニーズがある。

 

そこで必要なのは、それぞれの“アプローチ対処法・処置法”云々のみで

確立されてこそ、「共通の言語」でしょうし、一層重要になるのです。

代替医療全体としては混沌として、個々の専門性がクローズアップされ

ることが多いのですからねぇ。

 

そもそも、本質的なことをズバッと切れば、医療は”人間のみ”にあるわ

けでないのです。

そう思いませんか? 数々の実験動物を経た医療もあり、特殊な光線や

遺伝子組み換えによる植物の医療もあって、人間の医療も成立している

のです。

 

大昔のことを取り上げても仕方ありませんから。

そして、この日本の医療保険における医療は、根本治療だと思っている

方も多いようですが、多くの場合は対症療法なのであって、逆を言えば、

保健医療では対症療法的処方がなされ、そして治っていくんです。

 

それは、命そのものに備わる「自然治癒力」の賜物なんですが、その回

復程度には”個体差というよりも個人差”があるということ。

 

そう!盲点があるこの方法における最大の弱点、つまり盲点とは・・・。

 

本人に適切なソフト供給がなされておらず、供給過多に傾倒しやすい!

例を挙げれば、お薬手帳はあっても重なる支給可能、故に介護を必要と

するの方々など、他人様の管理になることも致し方ないのです。

 

これも一例ですが、手術の適切なタイミングとはこの日が良いと、誰が

断言できるのでしょう。

 

本人のバイオリズムや体力を測る目安を統計で決めて良いのでしょうか。

 

現代医学だけではありません。

これは現在東洋医学でも、同じ問題点を抱えたままにしているようです。

 

ドーゼ(刺激量)の過多によって、患者さんの具合が悪くなる場合もあり、

それを経験という曖昧模糊としたヴェールに包んで「からだ」に許しても

らっているわけです。

 

体型や検査で決まることは限定されており、年齢や体力まで含めたら・・

まあ、陰体質にも細分化あり、陽体質にも細分化されてはいますがね。

 

ここを「共通の言語」として統合できるとしたら、まだ形になっていない

状態まで把握できるようにして、初めて”お互いの信念”や”処置法”に寄りそ

い、真摯に語りあうことも可能となってくるはずなのです。

そして、”形になっていない”状態を把握すると、手術のタイミングはおろか

処方されている処方箋の薬の飲み合わせや、鍼灸の経絡上の反応の理論優位

でない臨生の場での優位性も、ハイレヴェルで考察できるようになるのです。

 

(右脳優氏)

なによ・・・アナタの方が書いていることって過激じゃないのかしら?

ハイレベルな考察って、結果から言えば「潜象」のコトワリ(=理)でしょ。

 

「共通言語」の通じる「からだ」的立場からいえば、それが「太極の意志」。

 

そもそも私たちは、生まれながらにして赦されているのよ、救われているの。

だからこそ「操体」の学びは終わりが見えないのよ。

追究し、追試して、未来~過去~現在と、深めてきているんですもの。

 

見えない「潜象」あっちとこっちを紡ぐ鍵、それが「共通言語」なのよ。

操体独自の「動診」、そして「渦状波Ⓡ」と「D4=第4分析」まで理解すれば、

そのことを「原始感覚」で理解もできるわ。

 

もっとも、生命の活用そのものである「息診」なんて、そのものなんだから・・・。

                         <その③へ続く>

 

 

※今日の一言

「何人も永く仮面を冠り得ず。 偽装はやがて自己の天性へ還る。

 仮面長いこと身につけることはできない」

                        ~セネカ~