いきなりですが、今日の一言から!
「将来の医者は薬を与えず、 患者に人体の骨格と構造、栄養、
そして、病気の原因と予防について教えるだろう」
~トーマス・アルバ・エディソン~
(右脳優氏)
例えば、あなたは今まで病院の先生に診察してもらっているでしょ?
その時に、「今日はどうなさいましたか?」って聞かれると思うのよ。
世の中には本当に色々な方がいるわよね。
医療の診察も同様、時系列を追って丁寧に説明する几帳面な方もいるし、
聞かれたことしか答えない方も、医師からしたらどうでもいい情報を遮ら
れるまで話し続ける方もいると思うのよ。
色々必要な事も、時に必要でないことも話しているかもしれないわよね。
このように、問診一つでも医師の経験や技量に診断の基準差があるわ。
だからこそ、シンプルに問いかける・・・その意味も生まれてくるの。
この場合の診断基準っていうのは太極的「いのち」の貫通する「からだ」。
”患者さん”は”陽的”で表だとしたら、その裏の「からだ」は、陰ってこと。
貴方の考える診断って、何を基準に引用して「共通言語」を捉えているの?
文化や人種などの豊富な人口統計上のデータによる診断なのかしら?
それとも、医療のチームによって形成されている診断基準なのかしら?
昔々のエライ人がまとめてくれた古典的でも普遍的な資料なのかしら?
でもね、それで間に合って全てでも構わなかった陽の時代は終わったのよ。
不安を訴える精神疾患も増えて、陰の時代に相応した診断は求められている。
陽の見立て・陰の見立て共に、両方ともわかってしまうのが「息診」なの!
そう、「からだ」の求める診断、その次元での診察を可能としてしまったの。
患者さんが目的地に至る前に「息診」を通じて至っているというのかしら。
冗談のようだけど、臨床前に診せて頂く・・そんな診察も成立するのよね。
「動診」による診断は、ボディーの歪みを診断する上で、大きな特徴でもあ
りつつ、橋本敬三先生が存命の頃からすると、ますます深化しているのよ。
シンプルを深めつつ、いまだ完成されないからこそ可能になってきたこと。
(左脳優氏)
今までは見えず、みえなかったことまでも診断可能にするってことですかね。
見えないことと言えば、放射線の被爆、その危険性を考えてしまいますね。
確かに日進月歩の最新的検査機器には、放射線を用いるものが多いのですよ。
結核検診、肺がん検診、胃がん検診、更には脳ドックと称してCTまで受けて
いること、造影剤を用いて脳血流まで調べられることを考えると、一人あた
りの被曝量を上げる犠牲を払って診断している訳ですから。
もし、もしですよ・・・その「息診」が統合される医療全体の「共通言語」
になりうるならば、そのような被爆を限りなく限定して用いることも可能と
なるのでしょうか?
(右脳優氏)
そうね、それを答える前に、私たち一人一人の自己責任分担って、ご存じ?
知らなかったら、操快堂のアルジになんでも尋ねてみたらいいわね。
彼ったら意外とああ見えて、「操体」に関してだけは、”真面目”なのよ。
それでね、「共通言語」だって、自己責任分担は“診断に必ず関係”してくる
ものなのよ・・・ホント、これは盲点どころじゃないわ。
それを知らずに「診断」が終わっているなんて、可笑しいと思わない?
だって、私たちが生きていくには、色々な命を頂いているわけよねぇ・・。
食べたり、動いたり、考えたり、息をしているってコトは、その証明なの。
宇宙の仕組みから考えても「息診」というのは自然の摂理にかなっているわ。
(その⑤に続く)